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情報過多の現代社会で生きる

言わずもがな、現代社会は情報に溢れています。
特にSNSが台頭して以降、その勢いは留まることなしですよね。
SNSを使っている人それぞれが情報発信できるのでひと昔前のマスメディア主流時代とは最早比肩できないレベル。
と、いうわけで、今回は情報の荒波に対してどう向き合うか、について持論を整理してみます。

目次

何が真実かわからない!!

まぁ、まずはこれです。何が本当で何が嘘なのか、判断するのが非常に難しい…
真っ赤なリンゴをみて、あれは人工色だから体に悪い!と言う人もいれば、生産過程で丁寧に大切に育てたから綺麗な赤色になったんです。という人もいる。それだけならまだしも、あれはリンゴの木の下に好からぬ物が埋まっているせいで、その養分を吸って赤くなっているのだ!とか、本当のリンゴは赤ではないんだよ?なんて話も出てきたり…(あ、もちろん、例え話ですよ?)
もはやカオスです(笑)いや、実際は笑えないレベルの話なんですが…

真実の判断は可能なのか?

笑えないレベルの真偽不明な情報が大量に溢れている中、果たして嘘か本当か見極めることは可能なんでしょうか?
中には可能な物もあるでしょう。しかし、そうではない情報も非常に多い。
そしてたちが悪いことに嘘とわかって情報を発信する者もいれば、その嘘を本当だと思って情報を発信する者がいる。
そしてそれが凄い勢いで拡散されたりするわけで。
こういう状態になってしまったら、はっきり言って、私は真偽の判断は不可能だと思っています。

もはや写真や動画、それどころか音声さえも証拠になりえない

私が真偽の判断が不可能だと考えている理由で最大の問題は、近年のAI技術の進歩によって証拠が捏造できるという点です。写真や動画はすでに実物と見分け出来ないレベルになっています。もちろん、扱う側の技術によっては判別可能な物は多々ありますが、判別可能と自負する事で判別できなかったものを真実として受け入れてしまう可能性がありますので、須らく判別出来ない、又はその可能性がある、というのは常に意識しておくべきでしょう。
そして、最近では音声ですら偽装できてしまう段階に来ています。
専門家であれば、その捏造を見破る事は可能かも知れませんが、一般人には、少なくとも私にとっては見破るのは無理です。そうなると一つの事柄に対して嘘側も本当側も根拠が示せてしまうという、なんとも面倒な事態になってしまいます。

触らぬ神に祟りなし!?

では、如何すればよいのか?
結論、触らぬ神に祟りなし!(笑)
よくよく考えてみれば、嘘か本当かわからないレベルの情報の大半には自分個人にとってはどちらでも関係ない事が多いのです。もちろん、すべてではないですが、9割は直接関係ないです。ならばその真偽について右往左往するよりは一歩離れて「ああ、そういう見方もあるんだな」くらいで捉えておくのが良いのではと考えています。
そして自分の身に直接関係ありそうで無視できない場合は、極力、一次情報の取得を試みる。
そうすれば、少なくとも情報に振り回されて無駄に疲れてしまうことは減るかと思います。
これは今に始まったことではないですが、メディア然り、嘘の情報の拡散然り、往々にしてそこには一種の自己顕示性が潜んでいて、そのため、人々の不安を煽って興味関心を集めるというのは常套手段なのです。
ただ、不安や恐怖、その他の負の感情は生存本能に関係する部分で無視しがたい事らしいのが困りものですが。

それでも日々は過ぎていく(笑)

さて、どんな嘘情報が世間に蔓延していこうとも、それでも日々は過ぎていきます。悲しいかな、大雪で交通機関が麻痺しても、隣町が大雨で重大な被害にあっていても、さらには戦争が起こったとしても、日々は過ぎていくのです。
いつも通りに起きて、出勤して、仕事して…。生きていく為、社会活動を停滞させないため、実害がないうちはいつもの日々を過ごしていくことになるのです。
疑心暗鬼で義理と人情… 私の好きな曲の歌詞ですが、まさにその通りで、内心は疑心暗鬼にまみれていたとしても、義理と人情を忘れずに、例え騙されても堂々と胸を張って生きていけるよう、日々精進。

具体例を挙げると色々と問題になりそうなので抽象的な表現が多くわかりにくくなってしまいましたが、今回はこの辺で幕引きです(笑)…文章力向上するよう努めます( 。 。;)

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